ヤマト木巧 100年のあゆみ

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明治37年9月 富山県高岡市より帯広に移住。帯広駅新築工事に携わる 日露戦争
明治38年5月 帯広市西3条南3丁目において、製作所を開始 ポーツマス講和条約調印
昭和4〜8年 帯広木工業界で、初めて木工機械導入 昭和6年 満州事変始まる
昭和23年3月 資本金100万で有限会社大和家具店設立 昭和22年 日本国憲法施行
昭和25年 帯広市大通りに 支店を出す。 朝鮮戦争始まる
昭和48年1月 建設業許可(建具工事業)を受ける 第1次オイルショック
昭和50年5月 製品センター落成 ベトナム戦争終結
昭和50年11月 優良道産品推進協議会より カラマツドア大和推奨受ける 昭和51年 ロッキード事件
平成4年9月 本店を 株式会社ヤマト木巧に変更 支店と分離  PKO法成立
平成9年4月 帯広市西24条北2丁目5-59 に工場を新築、移転 消費税アップ

主な出来事

会社の変歴

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1.創業者大和権三郎(現社長の曽祖父)は、明治37年、妻と3人の幼子を連れ、富山から船で小樽に渡り、列車に乗り換え、旭川経由で狩勝峠落合で下車(終点)。その後は、十勝清水まで徒歩(約50キロ)。山越えの道のりは険しく、9月なのに初冬のように寒かったそうです。故郷を離れ、約一ヶ月かかって帯広に着いた時残金は2銭だったそうです。関東の資料ですが、当時米一升(10合)で16銭、大工さんの1日の賃金66銭くらいだったようです。運良く、明治38年開業予定だった帯広駅の工事に大工さんの手伝いとしてすぐに参加。自らの才能を信じ、その後、建具家具の道で独立。

2.明治38年、住宅兼製作所を構え、本格的に活動を開始。然別、伏古、東士狩方面の農家のお宅がお得意様だったようです。先代社長(与三)が10代の頃(昭和17年頃)゛大和の建具は頼むと2〜3年は掛かる゛と言われたそうです。これは、当時、30〜40年前の創業者の事を指していたようです。偏屈で頑固者、しかし、゛大和の建具はいい゛と何年でも待っていてくれた当時のお客様。お客様に支えられて、創業時期を乗り越えられた事を強く感じます。

3.明治43年、家族は2人増え、7人に。後に、初代社長となる大和与一(現社長祖父で権三郎長男)は、高等小学校を卒業(14才)。その卒業記念誌に、゛帯広に指物(さしもの)業として、その名を知らる゛と書いてあります。すでに、父の手伝いを行い、自分がやる!という意気込みを感じます。この頃は、お客様が馬車で建具を受取りに来て下さり、一泊して帰られたそうです。家族が使っている一番良さそうな布団をお客様用にあて、布団を取り上げられた者は、丹前に包まって一晩耐えたとか。まだまだ余裕のない生活だったようです。
4.大正の中頃からは、息子達も立派な働き手となり、商売もそれなりに順調で、借金をしながらも将来の為に、と土地を買い足していきました。しかし、昭和初期からの不況で仕事はなくなり、息子達(長男与一、次男鉄次郎)は札幌へ出稼ぎに。帯広では、父権三郎と三男勝治が仕事を続けていました。幸運にも、この頃から市内の帯広小学校柏小学校の机、椅子製作修繕の依頼を定期的に受けるようになります。息子達も札幌から戻り、大きな仕事の依頼もあり、やっと荷車を購入。
蛇足ですが、帯広小学校は平成18年110周年を迎えました。創業者からみて5代目が平成18年3月、帯広小学校を卒業。卒業者名簿には4代に渡って大和の名があります。今更、年月の重さを感じます。
5.昭和4〜8年頃、順風満帆とは言えない状況の中でも、同業者に先んじて木工機械を導入していくなど、攻めの姿勢を持ち続け、昭和23年創業43年目で有限会社大和家具店を設立。創業者の長男 大和与一 が初代社長となります。昭和25年、販売所として支店を設立。昭和27年からは、創業者次男 大和鉄二郎 が二代目社長となります。この頃の取付は、まだ荷車が中心で、遠くは、お客様が馬車で迎えに来て下さり、建具と職人を乗せて帰り、また送って下さったそうです。明治40年代と変わらないですね。昭和30年代後半三輪自動車を購入。しかし、遠方は、列車で先に商品を送り、その後に出掛ける事もあったそうです。
6.昭和38年、十勝家具建具産業協同組合設立。設立時から組合員となり、昭和40年、理事の一人となっています。現在、従業員は8名ですが、当時は13名だった事が資料から分かり、驚いています。昭和42年から、三代目社長 大和与三(現社長父) となります。創業から会社設立までのあゆみは、この三代目社長が、創業80年の節目に、二代目社長や叔母を尋ね、本人の体験や、両親などから聞いた話しを書き留め、記念誌に書かれていた内容に基づいています。
7.昭和44年5月の帯広家具建具共同職業訓練所時間割が出て来ました。平日の夜は6時〜9時週2回日曜朝8時〜12時。組合員で会社の経営者が月2回位交代で講義を行ったようです。。直接技術を磨く為の講義数種の他に、経営、建築、社会、数学など内容は多岐にわたっていました。当時、中学卒業後すぐに働く子供たちが多く、人を育てる事に力を注いでいた事が伺えます。三代目社長も数年間、講師をしていたそうです。
8.昭和40年代には、四輪トラックも2台所有し、市内の高校や畜大などの建具工事などにも携わり、順調に営業を進めて行きます。昭和50年代には、受注製品以外に、から松製品や小物の製作も行うようになり、製品センターの一角に展示されていました。最近、十勝では、地産地消とか地場産品を活用しよう!という流れの中、地元の木であるから松が注目され活用されています。
9.現社長は、学生時代から、自分でプログラムを作り、ゲームを楽しんだいたという位無類のパソコンマニヤという事もあり、業界の中でいち早く昭和60年代からパソコンの導入が始まります。自作で一部の事務的な処理を行う事から始め、平成に入った頃には、図面もパソコンで書き始めていました。当初は、手書きの方が早そう…と回りからは見えたし、バックアップがしっかりしていなくて、やっと書いた図面が一瞬で消えた…と肩を落としたりとハプニングは多数ありました。しかし、今では、勿論、パソコンは欠かせません。
10.平成4年に社名を変更し、平成9年に社屋を新築。この大変な期間、社長を務めたのは、現会長 大和よし(現社長母) です。そして、平成10年から現社長となります。バブル崩壊後、特に建設業界の冷え込みが厳しく、売上も低迷の時期が続きます。しかし、経費節減を行いながら、期待を裏切らないモノ作りを常に心掛けて来ました。その甲斐あってか平成16年、無事創業100年を迎える事が出来ました。
11最近お付き合いをさせて頂くようになった元請さんから゛いい職人さんをお持ちですね゛とお褒めの言葉を頂きました。腕も性格も良いと言って下さいました。共に本人の心掛けの良さに寄る処ですが、嬉しいものです。現在50代から20代まで8名の職人がいます。社長も含め、一級建具技能士3名一級建具技能士と一級家具技能士を併せ持つ者2名10年以上のベテラン3名、そして、新人1名です。100年前゛大和の建具はいいが、偏屈で頑固者゛とその性格に閉口されました。しかし今は、建具家具のプロとして、時には、偏屈で頑固者でなければならない時もあると思ってます。それが、大和の建具はいいと最後には納得してもらえる事に繋がると思っています。 平成17年12月